vol.912
まいどです〜
流しの縄文料理人
そんなさとしのブログでございます
近い将来
もしかしたら海外で
ウデをふるうかもしれない
というわけで
過去をふりかえり
プロフィール的なのを描いてみよう
1977.03.22
広島県広島市に産まれる
東雲(しののめ)ってとこの
産婦人科で産声をあげた
そんな「さとし」です
さとしが産まれたあとに
安佐北区白木町三田にある
ばあちゃんの家に帰ったそうな
東雲にいた記憶は
さとしにはありません
ばあちゃんの家の庭に
父さんが鉄棒をつくってくれたり
記憶がよみがえるな
すげえ広い気がしてたけど
いま帰ると
ちいさく感じるやつ
じゃけど想い出は
色あせることはない
花火をしたり
いのこをついたり
かまくらをつくったり
星空をながめたり
四季折々
幸せな幼少期じゃったと
今になって想います
勉強は得意ではなかったし
3月産まれってことで
同級生の中ではカラダは小さかったし
ハンデはあったけど
そんなんまったく気にしない
そんな少年さとし笑
みんなより
アタマひとつ小さいことに
気づいたのは
高校生になった頃にみた
小学生の時のこども会のソフトボールの
横一列で並んでる集合写真をみたとき
「だれやこれ ちっさ〜」
それが「さとし」でした笑
野球ざんまい
将来はカープの背番号「4」を
背負うつもりで
ボールを追いかけてた
硬式野球部がある
向原高等学校へすすみ
野球部へ入部する
そしてそこには
現在進行形の「よねよね」の
イワケンがいた
クラスも一緒だったし
おもろいやっちゃと思ってたら
置き手紙おいて
野球部を去るという笑
そして次の日の朝に
みんなにいじられとった
それ
転校する前にやるやつじゃろ笑
そしてさとしも
初年度の夏の大会の予選を前に
野球部を去った
そして
「よねよね」が誕生したのが
高校2年生のとき
あれから31年
まだ演っとります笑
そして
広島経済大学に進んださとし
イワケンは
広島工業大学へ
在学中の4年間で
カセットテープで5本の
オリジナル曲だらけのアルバムを制作
そしてプロを目指し
東京へ活動の場を移した
大学まで出させてもらってねえ笑
東京での活動は10年間
音楽活動を支えるのは
飲食店でのバイトじゃった
いろんな店で
働かせてもらえたことが
今に活きてる
人生において
ムダな経験なんて
ない
成功ってなに?
失敗ってなに?
納得できるまで
説明してくれる人は
おらんじゃろうし
そんな概念すら
越えたところにたどり着いた
そんな「さとし47」です
もう少し
過去を振り返ってみますと
31歳で
広島に帰ってきて
飲食業の会社に入社できた
初めての会社員〜笑
「独立支援制度有」
これが決め手じゃった
がむしゃらに
7年間の店長経験をさせてもらい
それなりの成果を出し
広島市中区胡町にて
会社の店舗を買取るカタチで
独立開業ができた
そして8年間
やらせていただきまして
2年前に閉業しました
コロナもあったけど
実力不足じゃったんよね
今はそれがわかる
それが
成長するってこと
そしてワタシは
出張料理人として
新しいスタートを切る
仕事なんて
ほとんどないよ笑
でも
その姿勢だけは
貫いてみたら
人生が開けてきた
そんなさとしです
いろんなことがあるけど
料理を通してしか
伝えられんことがある
「料理で何を伝えるか」
それがなきゃ
料理人じゃない
そしてたどりついた
「縄文料理」の世界
勝手にやってますけど笑
和食のもっと先
いや
もっと以前の話
歴史を学び
再現していく
アホかオレは笑
でもね
これにはね
意義があるの
その意義を
世界に伝えることができる機会を
下さった方がいる
話せば長くなりまくるので
詳しくはまた
小出しにしていきます笑
ワタシの出張スタイルの
原点を下さった方からの
海外出張の話だったから
ワクワクがとまらん
そんなさとしです
そんなさとしは毎夜
焚き火料理の研究をしています
これは意義ある料理だぜ〜
これ
世界でも
通用するやつ
人類みな
もともと狩猟民族じゃもんね〜
本日もお読みいただき
ありがとうございます
また描きますね
今後は料理の仕事の
予約の受付や問い合わせは
公式LINEで行いますので
下にある公式LINE
友だち追加をどうぞよろしく
ではまた〜
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Profile
21歳より飲食店で働き始め37歳で和食店「京蒸」を広島市の一等地に独立開業
8年間営業をする中で自身の体調不良や妻の免疫系疾患を経験する
これをきっかけに 「カラダは食べ物で出来ている事」を痛感する
現代に溢れる食べ物はカラダを壊すまがい物と知り自然な食材の大切さに気づき、化学調味料や農薬まみれの野菜や養殖の魚や家畜などを食べない自然なものだけの食生活を 約2年間続けることで自身も妻も健康を取り戻した経験を持つ
その経験から野菜は無農薬野菜 魚は天然 肉は自ら猟師として調達するジビエ 調味料は天日塩のみを使用するカラダのためにしかならない食事を考案する
より多くの方に食事の大切さを伝えるべく店舗を閉め自然な食の大切さを伝え歩く猟師&料理人として2023年1月より再スタートを切る
化学調味料を使わない料理は「味気ない」「美味しくない」と評されることが多いが料理歴25年の経験と知識から独自の「美味しさ」を表現する「重ね煮」のスタイルを考案し現在に至る
現在は広島以外にも顧客を持つ出張料理人として活躍しながら猟師としての講演も人気を博している